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2026年3月16日月曜日

第27冊。なぜ、この世界に学問と呼ばれる領域が存在して、学問が学問たり得たのでしょうか。 Why does the field known as scholarship exist in this world, and why has scholarship been able to exist as scholarship?

 こんにちは。渡辺天です。お願いします。今回のテーマは価格付けです。価格付けというとセーの法則を思い浮かぶ人もいるでしょう。セーの法則とは、経済学で言うところの超過需要経済であり、人々が欲しいと思う気持ちが供給したいという気持ちより多い経済を言います。

僕たちは、この超過需要経済でセーの法則という現象に出くわします。セーの法則とは、供給すれば、つまり売れば売るだけ売れる経済のことを指します。今、あなたは工場の生産者として一定のノルマを請け負っていることとしましょう。これだけの製品をこれだけの納期で生産してほしい、と。

普通、僕たちのいる経済であれば、生産しても売れない商品は在庫となって倉庫に眠ってしまうでしょう。一方、セーの法則の世界では、売れ残りの商品がなく、生産した商品がすべて売れることになります。

現実の世界と理論の世界では、一種の乖離という現象に出くわします。乖離とは、少しずつ差が広がっていく現象であって、多くの差ができる頃にはかなりの時間が進んでいることであると言えます。学問の世界でも最初の理論から現実世界とは大きく乖離していく現象に出くわすことがあります。最初は古典派の利己主義といった仮定といえる前提が理論を積み重ねるに連れ、段々と現実から乖離していくといった現象です。

僕たちは科学や学問という世界に出会うとき、なぜ、その理論がその理論であるか、よく理解する必要があるということです。最初の設定が無理な話であると、その後の話もだんだんと無理が積み重なっていくことになります。

最初の過程はきっと現実というものを理論化したいという欲求だったのでしょう。しかし、その欲求も試行錯誤を重ねて次第に力技となっていきます。理論も複雑で高度なものとなり、普通の一般の人では理解できないものとなっていきます。

量子力学を見ましょう。最初は、ただ光というもののグラデーション、つまり濃淡を数式化したいという欲求だったのでしょう。数式が難しくならないように変数x変数の2次式の足し算でこの光のグラデーションという難題に取り組んだことだと思います。

しかし、時代が進むにつれて微分方程式やかの有名なシュレディンガー方程式など、最初の観測実験と呼ばれる光の観測から、あるいはシュレディンガーの猫と呼ばれる確率論の話から土台が揺らいでいたことに気づくことになるのです。

量子力学が確率論であるのは、なぜかというと速度や位置が同時に確定しないからで、そもそも光というものが観測できるスピードのものでないので、想像の域で理論を展開しているからです。

あの有名な相対性理論を生み出した某氏も頭の中の思考実験により光というものの解析に取り組んできたのです。その某氏も量子力学の生みの親の一人ですが、僕は価格式に至っても、この観測可能な経済現象にしても長らく思考実験の域を出なかったのではないかと考えています。

経済というものが需要という効用により、あるいは欲しいという欲求により、その価格式を理論化していたように、科学も長らく力技で現実を数式化してきたのではないでしょうか。その数式化したものを操れば、色々なものに、ここでは帰納と演繹に対応することができたと思います。

ここで言う、帰納と演繹とは、帰納という法則化、つまり現実を数式化してシンプルに表すことから、その数式を色々な経済現象などに適応して応用する、つまり演繹化することに価値を見出したのだと思います。

僕は一重に言うでしょう。なぜ、この世界はこのように数奇なのか。なぜ、この世界に学問と呼ばれる領域が存在して、学問が学問たり得たのでしょうか。学問も最初は単純な構造から始まっていますが、なぜ未だに現実をなぞることに多くを費やしているのか。

最初のテーマに戻ります。価格式のセーの法則の世界では、価格は恐らくとても安価なものでしょう。在庫が存在せず、廃棄がなければ、価格転嫁する必要がないからです。しかし、現実世界はセーの法則とは違い、少なくとも現代では多くの商品が買われることもなく廃棄されていきます。

この無惨な世界に一つの希望は廃棄をなくし、セーの法則に近づけることで、セーの法則がある程度の需要を含んでいるのであれば、一つの理想郷であったと言えることです。その点では、商品を作れば、すべて売れるということに世界の一つの理が体現されているのかもしれませんね。以上です。ありがとうございました。渡辺天でした。

2026年3月2日月曜日

第26冊。僕はステレオタイプとはより良きものであり、使い方によっては新しい発見の土台となる面白いことだと思います。I think stereotypes are a good thing, and depending on how they are used, they can be interesting and be as the basis for new discoveries

こんにちは。渡辺天です。お願いします。今回のテーマは経済学についてです。売上数量と生産量の関係性についてです。

売上数量というと商品や製品を売り上げた数量ということです。商品も製品もそれぞれ意味があって、経済学の分野においては、それぞれ使い分けたりするので気になる読者の皆さんは、意味を調べてみてください。きっと面白いですよ。

売り上げた数量は、皆さんにとって興味深いことでしょう。なぜなら、その売り上げた数量は需要であるからです。経済学には少なくともミクロ経済学には少なくとも売上数量という概念、つまり考え方は存在しません。

しかし、ここで売上数量という概念を持ち出せば、売れれば売れるほど需要やニーズがあり、ますます生産して売り上げようと考えるのが普通でしょう。つまり、売上数量と生産量には、売上数量のニーズがあれば、生産量は増えるという考え方が常識的であると言えるでしょう。

ここで、常識の話について述べておきたいですが、常識というと普段からの生活の中で染み込まれた烙印とも言える強固な固定概念、つまりステレオタイプのことですが、このステレオタイプはとても頭の中で強固に根付いているので新しい考え方をしようとする時に、その新しい考え方を思いつくための邪魔者となります。

ステレオタイプは案外、便利な考え方です。何かを分類するとき、即座の判断をするとき、瞬時に分類できるので大いに時間を節約することができます。僕は普段からステレオタイプというものに疑念を抱いています。

僕もブロガーという意味では、アーティストであり、執筆家であり、クリエイターの端くれとも言えます。その僕が、ブログを書くときに最も恐れているのが新しいアイデアが出なくなることです。大概、マンネリになるとは、ステレオタイプになり、新しい考え方が思いつかなくなったときに起きます。

僕は常識というものが大きな大発見のためには非常に不便なものであり、その常識を一旦外すことに意味があるということを知っています。

今回の経済学というテーマでもマクロ経済学というケインズが創始した経済学の一分野がありましたが、マクロ経済学のミクロ的基礎付けという、マクロ経済学とミクロ経済学を合体しようとした時に出てきた問題に対処するために今までのケインジアンの主流派の経済学を捨てることになりました。

新しい経済学は僕もだいぶ前に勉強したので記憶が曖昧ですが、ニューケインジアンモデルのような予測の学問となり、今までの経済政策、つまりビルト・イン・スタビライザーにおける景気の調整機能を主要な経済政策として取り扱うマクロ経済学を棄却することになりました。

マクロ経済学も強固な常識となっていた経済学に関する考え方を一度捨てて新しくニューケインジアンモデルのような理論により再出発を図ったと言えます。ただし、僕はケインズの考えたマクロ経済学は大変優秀で決して意味のないモノだとは思いません。

今回はケインズ経済学と常識に関する話でしたが、僕は常識とはあってないようなものだと思います。常識が常識であるようにステレオタイプはステレオタイプを止めません。常識とステレオタイプの差は何かといえば偏見に関すことです。

常識は中道を行くような正統派の考え方のことですが、ステレオタイプは正統派というより強固な観念であり、多くのものは偏見を含みます。常識が王道の真正面を行くようにステレオタイプは真正面も含みますが、そこからズレた偏見も含みます。

その意味では、僕たちの常識というものは偏った考え方ではなく、王道であるがために、なかなか捨てきれないのではないでしょうか。僕は、このような王道の考え方は残すべきだと思います。

保守的な考え方も必要ですが、一部では偏見を含むようなステレオタイプの考え方も必要となるでしょう。偏見こそランダム性であり、新たな創造の芽を育むからです。僕はあなたの時代は良い時代であると思います。僕の時代がそうであったように、あなたの時代も新しい発見により社会がより良く一新されていく時代であるはずです。

僕たちは恐らく同じ時代を生きていますが、また別の時代も生きています。それぞれの考え方が違うように感じ方や感覚器が違うからです。ただし、話は長くなってきましたが、僕はステレオタイプとはより良きものであると言えます。

それ自体は差別にもなり得る強固な思想でありますが、使い方によってはステレオタイプを新しい発見の土台とするのは面白いことだと思います。僕も改めて時間を取って一見して保守的であるステレオタイプと新しい発見の違いを考えてみたいです。

次回のリライトでは機会があれば、この点に関して深堀りしたいです。それまでに答えを見つけておきます。以上です。ご成長ありがとうございました。渡辺天でした。

2026年2月24日火曜日

第25冊。小説。ハートのエース。こちら、β。夢の世界で王になることを決めたんだ。邪魔しないでくれ。Novel. Ace of Hearts. This is Beta. I've decided to become king in the dream world. Don't get in my way.

 あれ。なぜだろう。βはふと昔の楽しい日々を思い返す。家族で行った旅行や祖父母と会うために帰省した日々。なぜか、ツーっと涙が出てくる。なぜ、僕は勉強から逃げたのだろうか。

β。こちらコウタだけど。そちらのαグループは賑やかだけど、ミサキがβの暴走を心配しているんだよ。なんでβはこの頃、学校に来なくなったの。今、何をしているの。教えてほしいんだけど。

こちらβ。学校に行く必要が無くなったんだよね。もう出席日数が足りているし、学校で勉強することに価値を見出せなくなったんだ。代わりに面白い遊び場ができて、そこで働いているんだよ。ボランティアだけどね。

こちら、ミヨリ。コウタの言う通り、βには学校に来てほしい。何か色々隠し事があるみたいだけど、学校に戻ってきてほしい。そちらのαグループは崩壊の危機にあるとβのグループのαたちが騒いでいるんだよ。今、どうしているの。

こちら、β。僕のことはそっとして置いて欲しい。今、何をしているかといえば、いつも横になって寝ているんだよ。寝ているだけ。調子が少し良くないのかも。夢の世界という話があって。君たちには分からないかもしれないけど。

この頃、夢がやけにリアルになってきたんだ。明晰夢というらしいけど、夢だと分かっているんだけど、自由に夢の中を動けるようになってきた。寝ている間は現実とは区別できないほどリアルなんだよ。起きているときと同じ感覚。でも、寝ている夢の中だということは分かっているんだ。こちら、天でした。

なぜか、この頃、色々なαのグループで夢の話が出てきているらしい。何でも夢の中で料理を食べるんだけど、本当においしくて現実のようなんだって。

でもさー、思ったんだけど、痛みとかもあるのかな。痛みがあるんだったら僕は嫌だな。実は感覚も本当にあるらしい。痛みがあるという報告は他のαのグループからは上がってこないんだけど。夢の世界で機械の心とともに生きる。

こちらβ。もう勉強はコリゴリなんだよ。なぜかって、夢の中のほうが楽しいからだよ。そのうち、仕事をするようになって社会人として業績を競い合うようになるんだろ。僕はそんな人生は良くないんだよ。

散々これまで勉強に時間を使ってきて今度は別の業績を上げるというゲームが始まる。また一から振り出しのようで本当に人生が嫌になったんだ。そこで近くの神社でどうにかならないか神頼みをしたんだ。たまに神社に行って初詣にも行く神社なんだけど、ノイローゼになりそうで勉強に嫌気が指していたんだ。本当だよ。

少し前までは本当に勉強が楽しかった。αのグループの中でもいつも一番で周りも褒めてくれるし、勉強が楽しくて仕方なかった。でも、高校生になって受験競争が始まってから勉強が楽しくなくなったんだ。本当に勉強をする必要があるか疑問に思ったんだ。

学校の先生も言うように大学を卒業して社会人になったら働く。勉強はその土台で働くようになってから出世をするために業績を上げる時の基礎になるから、今のうちに仕事の土台となる勉強を頑張れば有利に社会人のスタートを切れると先生が教えてくれたんだ。スタートダッシュをしたければ、良い大学に行ってしっかりと勉強する。

社会で色々な物を手に入れるためには会社で出世する必要があって、仕事をしていれば大概のものは何でも手に入るのが社会だと担任の先生が教えてくれたんだ。

こちらはβだけど。まだ競争が続くのかと思ったら挫けそうになって、神社に神頼みに行ったら、例の夢を見るようになったんだ。僕は思うんだけど、勉強して社会人の土台として大学に通っても、本当に一人分の成功しか手に入れられないような気がするんだ。

物凄いお金持ちがいるように、お金が全てではないけど、有名になって、お金を得て、良いポストに就いて、有名人の奥さんをもらう。僕にはそんな社会的な成功が本当に重要か分からないんだよ。僕は夢を見るようになってから、感情が欠落していくのを感じたんだ。

は夢の中でハートのエースを名乗り、機械の心を持っていると言って回っているんだけど、ミヨリとコウタは分かってないんだよ。僕はこの競争の舞台から降りたいんだ。だけど、それは僕の両親が許さないし、相変わらず、楽しくもない受験勉強に専念しなければならない。大学を卒業しても勉強の成績競争とは別のゲームが始まる。

こちら、β。夢の世界で王になることを決めたんだ。邪魔しないでくれ。

こちら、天 。β。少し冷静になってほしい。君は本当に優秀だとクラスでも話題だけど、何で、そんなに自暴自棄になるんだよ。βを含む僕らのグループも仲間割れしそうな兆しがあって、どうにかして欲しいんだよ。僕は今まで通りのβでいてほしい。決して夢の世界に逃げないでほしい。僕も夢に関しては信じるけど、本当に夢の世界の住人になれると信じているのか。その真意を聞いてみたいんだよ。

2026年2月11日水曜日

第24冊。あの時に感じた素数という数字の一体感。僕たちは、この素数という現実が存在する偉大な時代を生きています。 The sense of unity I felt with prime numbers at that time. We are living in a great era where the reality of prime numbers exists.

 こんにちは。渡辺天です。よろしくお願いします。

素数。僕は素数について様々なことを知っていますが、その素数の可能性について語ってみたいと思います。素数の中で最も勇敢な素数は2でしょう。唯一偶数であり、唯一NO.2なのです。

僕は素数というという時、何かを思い浮かべます。遠い先祖の話やつい最近のホットなネタについてです。素数の中でメルセンヌ素数という素数のジャンルが存在します。最大の素数について調べるときに、ちょうど使用される素数探査装置です。

メルセンヌ素数では、最大の素数は天文学的な桁の素数を弾き出します。15分だけシンデレラというように、最大の素数を見つけることができるメルセンヌ素数を使用すれば、最大の素数を発見することにより、誰でも15分だけ有名人になれるというジョークもあります。

中でも、素数について特筆すべきは、axa+bxb=1mod4素数ということです。modとは1mod4が4で割った余りが1であるというように、素数を4で割った余りが1になるという素数のことです。特筆すべきは、3mod4と1mod4しか素数は存在せず、勇敢な素数である2だけが特別に例外であるという点です。

僕の中で、今一番素数についてホットな話題は、素数式ですが、素数を導くための数式とは様々なものが存在します。オイラーの素数式というものがあり、nxn+n+41は数十個の連続した素数を弾き出すことができます。試しに、n=0から1,2,3,・・・と順番に値を代入すると見るは見るはと素数が量産されていきます。イッツ、ミラクル。

しかし、僕はもっとスゴイ素数式を編み出すことに成功しました。2xpxp+p-2という式であり、pに素数を入れる、あれはあれはと、次々に素数と素数の2乗式が算出されることになります。試しに数値を代入してみると、p=3, 2x3x3+3-2=19, p=5, 2x5x5+5-2=53, p=7, 2x7x7+7-2=103となります。

興味のある人は、メルセンヌ素数が何たるものかと同時に、この素数式にどんどん素数を代入してみてください。きっと面白い結果が導けますよ。このように素数式とは様々なものが存在して、ついこの間会った祖父のように懐の深い感性を得ることができます。ちょうど僕らが子供の頃に探検した秘密基地のようにノスタルジックで壮大な理論を彷彿させることでしょう。

僕たちは言うでしょう。あの頃は素晴らしかった。あの時代のあの場所あの人々。そのことにより広大な夢の空間ができあがっていた、と。僕たちもオイラーの素数式のように古き良き時代を象徴するような素数式から、現代に至るまでの最大メルセンヌ素数。はては僕が編み出した最新鋭の素数式まで様々なことに思いを馳せることができます。

あの時に感じた素数という数字の一体感。あの時代に戻れたら、きっと探しに行くファンタジーの世界。僕たちは、この素数という現実が存在する偉大な時代を生きています。ちょうど、この記事が1年半前に書いた、僕が半人前のブロガーの頃の記事をリライトしているように、世界は躍動とともに前進しています。

僕もこの1年半で大きく成長しましたが、あなたもきっと1年半という時間の中で大きく成長したことだと思います。この1年半の御恩とともに、さらに1年半後には僕とあなたはきっと大きく成長していることだと信じています。そういうことで、この記事もクローズとさせていただきますが、質疑応答があれば、ぜひコメント欄までご意見ご感想をお寄せください。

以上です。ありがとうございました。渡辺天でした。

2026年1月30日金曜日

第23冊。小説。ハートのエース。βはハートのエースであり、機械の心臓を持っている。Novel. Ace of Hearts. Beta is the Ace of Hearts and has a mechanical heart.

こちらはハートのエースです。ハートのエースの世界は黄金のような神秘の世界です。ハートを名乗るからには最大限の敬意が必要です。ハートのエースはどこにでも存在して、どこにも存在しない何者かです。ハートのエースは比較的簡単な世界を構築するために存在しています。

ハートのエース。機械の心を持つニュータイプの存在のことです。機械の心を持つ存在に人は何を恐れるか。機械のハートといえども、心臓のペースメーカなどではなく、本当に黄金でできたような心のことを機械の心臓と呼びます。僕の心は機械でできている。ハートのエースは苦悩の日々を過ごします。本当に人間の心を持つことができるのか。

ハートといえども日々の仕事に追われ、日々の日常を退屈なく過ごしています。ハートのエースはファンタジーの世界ではなく、現実世界で日々を過ごしています。β。αだけど、何か気になることはない。βはハートのエースであり、機械の心臓を持っている。

βとαの関係性から僕たちは何かを探してさまよい歩いている。僕たちは何もない世界でお互いに干渉しつつ何かを形作っている。こちらはα、至急応答せよ。αの一言でふと夢から覚める。理想の黄金郷があったかのように、ふと夢から覚める。そのとき、αはハートのエースを名乗るβに一撃を加える。

こちらα。至急応答せよ。βはいませんか。βは機械のハートを稼働させ、次の目的地を目指して歩き続ける。α。そんなに急いでも、こちらには何もないかもしれない。αの周辺には何もないのか。

ふとミヨリが目を覚ます。αは桃源郷を目指して前進中だ。この何もない世界で僕たちは何を求めて生きているのか。ファンタジーの世界を夢見て、この世界に来たのに、なぜ僕たちは未だにファンタジーの桃源郷を見つけられないでいるのか。

青い鳥。灯台下暗し。案外、幸せって近くにあるのかも。ミヨリはふと思う。2年前の惨場を。中学受験に失敗した。なぜか数点差で合否を分ける競争だった。あと数点足りないがばかりにミヨリは中学受験に落ちることとなった。

βはいいよね。頭がいいから簡単に受験を突破出来て。ミヨリは一人苦悩を述べる。勉強漬けの日々。何も始まらない友情。家庭環境も悪化していた。ミヨリの受験支援のために。

コウタは一人苦悩を述べる。中学受験は良いけど。なぜ、僕たちは勉強しなければならないのか。一日中勉強漬けの日々で、なぜ運動もせず、一日中勉強するのか。学生の本分が勉強だということは良くわかっている。義務教育で勉強することが学生の、あるいは子供の仕事だということは身にしみて分かっている。

でも、なぜ遊ぶことも出来ず、ひたすらに勉強する必要があるのか。僕たちは案外良い線を行っている。先生も悪くないし、家庭教師のお兄さんも付いている。案外悪くない待遇なのに、なぜ僕たちはこれ以上の勉強が必要なのか。

若いうちにしかできないこともある。学校の先生は僕たちの味方だけど、なぜか要領を得ない時がある。それでも勉強を優先させたがるし、休日もなく勉強漬けの日々。本当にこの人生は正しいのか。高校生の僕たちは疑問に思う。部活動もしたいし、ゲームもしたい。それなのに優先順位はいつも勉強。

βは一番頭が良いから分かるのだろうけど、βは自分の心を機械でできていると述べてくる。僕の頭は良く働くけど、心は機械でできている。サイボーグみたいだ。βのすることを、いつもお手本とする僕らにとっては、勉強漬けの毎日で機械と化したβの心臓を心配することしかできない。

βは言う。この頃、面白い遊び場ができたんだ。勉強だけでなく、面白い遊び場。ファンタジーの世界の話をするβを見て、調子が悪いのかな、とか、大丈夫かな、と内心では心配してしまう。βはファンタジーの世界ではエースを名乗っているらしい。

仮想的な遊び場があるとデジタルのコンピュータゲームの世界をそのようにファンタジーの世界といっているのかと、βの話が良く分からなくなる。ただただ面白い世界で、そちらにも足を踏み入れたいとβは告げてくる。β。本当に大丈夫なの。

ミヨリもコウタもαの一員だけど。別のグループに所属している。僕もβのグループには所属しているけど、この頃、変な夢を見る。得体のしれない魔物がひしめき歩く世界だ。夢の中だから怖くないけど、朝に起きたとき寝汗がびっしょりで起きる。やけにリアルな感覚なんだよな。

僕の名前は天。βのことを心配に思っているαの一員だ。ミヨリとコウタのグループではないけど、βと一緒にいれて楽しい日々を過ごしてきた。この頃のβの奇行を見れば、βのことが心配に思える。なぜ、ここまで勉強してきたβがおかしくなっているのか。不安でたまらない。

夢の世界。もしかしてβは夢の世界を見ているのかな、と。僕も敏感にβの事情を詮索してしまう。βは夢の世界で王になると言い出した。あのまともなβがなぜ、そんな訳の分からないことを言い出したか分からない。僕たちはβが勉強を嫌になったのかなと、ふと察してしまう。βももっと外で遊びたいのかもしれない。

βはこれまで成績優秀品行方正で来ているけど、大学受験も高校の成績が良いから推薦も視野に入れている。もう少し頑張れば良い大学にも行けるはずなのに、なぜここで諦めて夢の世界の話をしだすのか。βの正気を疑ってしまう。今日も夢を見た。

至急応答せよ至急応答せよ。こちらは天。βも夢に出てきたのだけど、βは夢の世界で仕事をしているところが印象深い夢だった。夢の世界は日に日にリアルになっていくのだけど、僕はβと同じように正気を失いつつあるのか。自分の精神を疑ってしまう。でも、夢の中でβと話すこともできた。明日、学校で聞いてみよう。同じ夢を見ているのではないか、と。

ファンタジーの世界。僕も憧れがあった。こちらはコウタ。至急応答せよ。ミヨリ。ミヨリも重い腰を上げる。ついこの間、会ったばかりなのにコウタが遠い存在に思える。ついこの間、模試試験の結果が返ってきた。コウタは難関大学に合格圏の成績を修めたらしい。ミヨリは普通の大学に行くんだね。僕たち離れ離れだね。αの間でも成績は大きな格差がある。

コウタはこの前まで難関大学に受かる実力もなかったのに、いつの間にか成績を大きく上げて模試試験も突破したようだ。本腰を入れるといって必死に勉強を始めたらしい。なんで、こうも成績に差が出てしまったのか。

αの間でも成績の話は良く出る話題だ。僕たちはなぜ勉強するのか。大きな疑問だ。コウタはふと思う。このまま難関大学に入学してもバラ色の人生を歩めるわけではないことは知っている。大学を卒業して社会人になれば勉強ではなく業績の競争になることも知っている。

僕たちは、この厳しい競争を勝ち抜いて、なおかつ何か得るものがあるのだろうか。すごい宝物を手にすることができるのだろうか。普通の人生になってしまうのかな。ミヨリは安定志向だ。こちらミヨリ。なぜ私たちは、この社会の競争に勝ち抜かなければならないのだろうか。私は平凡な人生でいい。

ただし、本当に普通な上から数えて真ん中くらいの中流の生活を夢見ている。この頃、社会にも上流中流下流という分別があることを知った。私は平均的な大学でもいいから、中流の生活がしたい。コウタもミヨリは普通の女の子だなと、もったいないなと思ってしまう。

もう少し上を目指せば、もっと良い生活ができるかもしれないのに。なぜ、もっと上を目指さないのか。価値観の違いを感じる。女の子はいいよな。結婚すれば良いもんな。この頃では男女平等が叫ばれているけど、女の子は主婦になったり、いくらでも潰しが効くもんね。女の子は得だな。ミヨリは男のほうが得だと思っている節があるみたいだけど。

コウタは受験勉強で疲れて溜息を吐く。別の世界があったら、その世界に行きたいな。逃げの一手のようだけど。こちらβ、至急応答せよ。なぜ、僕が勉強をやめたのか。理由は二つある。

一つは、もう既に一流大学に受かるほどの実力があるからだ。勉強もほどほどに続ければ簡単に大学に合格できるレベルにはなっている。もう一つは僕の新しい世界を見つけた、それだけ。夢の世界。本当に面白い世界。僕はこの世界を独占したいけど、昨日、天と話す夢を見た。

今日、天は高校で何かを言いたげだったけど、、何も言わずに去っていった。話したいことがあるといったのに、なんで何も言わずに去っていったのだろうか。不思議だな。僕も少し調子が悪いのかな、夢の世界だなんて、大人は非常識というだろう。

大人は本当に僕らのことを分かっていない。大人の事情がまかり通るのも大人の声がデカくて権限があるからなのに。公平ではない。なんだか理不尽だよな。ただ年齢が高いというだけなのに。それだけが全てなのかな。明日、他のαとも相談しよう。ミサキは考えている。あれ。αのグループが分断の危機にあるのかな。なんでβは暴走しているのかな。この頃、様子がおかしいのはなぜだろう。

ミサキは今日の宿題に取り掛かる。勉強は簡単だけど、この勉強に意味があるのかな。勉強すれば、その成れの果ては何になるのだろうか。大学の先生や官僚になるのかな。まあ、私には縁のない話だけど。

第22冊。地球の三人に一人から四人に一人に至るまで、広大な勢力を持って君臨する宗教というものが何なのか。What is this religion that reigns with such vast influence, affecting one in three to one in four people on Earth?

 こんにちは。渡辺天です。仏の心は無心。仏とは何か。なぜ、仏の心は無心なのか。

僕は、仏とは誰の心の中にもいる大切な何かだと思います。仏と一口に言っても、神様もいれば、妖怪もいるのが世の常です。実際、その存在を信じるかどうかは別として、確実に誰もが知っている知名度を持っています。仏は。

僕は、仏と言っても、色々な仏がいるし、僕自身は仏を信じているかというと半信半疑です。仏といえば、仏の教えで仏教ですが、仏教といっても、色々な宗派が存在して、一重に何かと断定することはできないはずです。

仏の心は無心と言います。仏は誰の心にもいて、その無心な部分が仏の心とも言えるかもしれませんね。僕たちは、頭で物を考えるとき、様々なことに思いを巡らせます。良いこともあれば、悪いことにも思いを馳せます。最大の成功は何かとか、最悪の失敗は何かとか。

人間の心は色々な雑念に溢れており、色々な選択肢があることが分かります。仏の心は無心。僕は、仏とは自己完結する世界の話であると思います。自分の体の中に世界があるとします。自分の身体の中で行われていることに人は無頓着であるはずです。何も考えず、何も思わず。

僕は自分の体の中のことに滅多と思いを馳せません。僕ががん患者のような重病者であれば、自分の体の中のことに興味を引くでしょう。しかし、僕は健康な体を持っているので、普段の生活の中で自分の内側について思いを馳せません。

同様に、仏も自分の体を患っていなければ、自分の体について何も感じない無心であるのではないかと僕は思うのです。仮に、僕が仏ならば、自分の精神世界とも言える自分の内面に考えを巡らすことは、あまり機会のないことなのかもしれません。

何かに感動したり、怒ったり、笑ったり、楽しんだり、悲しんだりするのは、自分の外の世界があるからです。万に一つ。この世界が仏の体の中の精神世界であれば、自分の中で完結している話に感動したり笑ったりすることは、あまり無いことだと思います。

僕は宗教というものが、とても偉大であることが分かります。僕は宗教で言えば、仏教に多少の興味があるような門外漢であると言えますが、僕は宗教の可能性を信じています。あれほど多くの地球の三人に一人から四人に一人に至るまで広大な勢力を持って君臨する宗教というものが何なのか。仏や神を信じる人がなぜ、このように多く存在するのか。疑問でなりません。

僕は多くの人に知ってもらいたいのですが、宗教とは心の安全性であると思えます。安心できる居場所を提供するのが宗教の大きな一つの使命であると信じて疑いません。中には、高額な寄付をして一家が破綻したような話もありますが、健全に宗教に携わっていれば、そのような話とはあまり縁がないのではないでしょうか。

僕は一つ言いたいのは、仏の体もまた世界なのだと言うことです。仏が無心であるように僕たちの心も無心でいられるのではないかと思います。余計な邪念にとらわれず、日々懸命に生き、何かを成し遂げるのが僕たちの人生であってほしいと僕は願っているのです。

僕は世の常が人々の心のなかで大きく膨らんだ使命を成し遂げることだと思います。ただ漠然と日々を生きている人は少ないと思います。人々は悩み事や多くの思いを込めて人生の一日を過ごしています。

僕は仏や神という存在にすがる人間は弱い存在だと信じています。その弱い存在の人間が一人また一人と集まったのが宗教であり、大勢で集まるから巨大な勢力と化しているのは分かります。僕は日常生活を普通に営んでいますが、宗教を大きな位置に占めて生活している宗教者も多いのではないかと思います。

仏の心が無心であるのであれば、多くの僧侶もまた信徒も無心を目指して生を送っているのではないでしょうか。仏の心は無心。この世は誰かの夢の中か、精神世界の中か。僕は多くの人に仏という存在の異質性を知ってほしいと思います。

多くの聖典がそうであるように、宗教の知恵とは膨大な知識の塊です。僕もそのうち宗教について理解を深めるために独学で勉学を積むのかもしれませんが、そのときは学んだ内容をブログを続けていればブログなどで紹介していけたら良いのではないかと思います。僕も無の心とは何かと思いを巡らしていけたらいいです。

以上です。ご成長ありがとうございました。渡辺天でした。

2026年1月29日木曜日

第21冊。ファンタジーの世界以上にファンタジーな現実世界を生きる。それこそ僕の望みの一つなのかも。Living in a real world that is even more fantastical than the world of fantasy. Perhaps that is one of my hopes.

 こんにちは。渡辺天です。

今回のテーマとして、僕は異世界転生について語っていきたいです。異世界転生。うーん。異世界転生とは、魔物やドラゴンが出てくるようなファンタジーの世界を思い浮かべます。ファンタジーと言うからには、自分の戦闘力が異世界で最強レベルであることもあるでしょう。

異世界には異世界のルールがあり、異世界の伝統や文化があるはずです。僕は、異世界転生とは最初に主人公が現実世界で死ぬことによって、異世界に転生されることが多いように思えます。異世界で最も尊いのが、他世界から来た冒険者であるというのは少し冗談めかした話ですが、主人公はいわば外からの異邦者であると言えます。言ってしまえば外来種ですね。

僕は、この異邦者である主人公が異世界で大活躍する話が大好きです。コミックを何巻か買ってみるのですが、異邦者は決して負けません。戦いに。もちろん、異世界で死にかけるような修羅場も何回もくぐることになります。

正直、僕は異世界転生したいかといえば、なんとも言えないのですが、僕はこの現実こそ異世界であると考えます。現実がファンタジーの世界に変貌するというような昔ながらの少年コミック漫画を強く推します。僕は、現実世界こそファンタジーの世界になり得るのではないかと信じています。

ファンタジーの世界で駆け巡るような体感を得て、初めて自由を実感できるのではないかと思います。よく考えれば、現実世界でも必死に努力して、それなりの地位になると自由がなくなってしまいます。自由とは、何も持たない一般庶民が謳歌するべき財宝であると思います。

ある程度の知名度になれば、何の警備もなく、自由に正体を隠すことなく、外をフラフラすることは出来なくなります。僕は、自由とは何かを考えたことがあります。自由とは最も尊い概念の一つだと、つまり考え方の一つであると欧米は考えているようです。自由至上主義ですね。

何かに捕らわれて箱の中の鳥であるならば、自由の重要さに大いに感化されることは身にしみてわかります。欧米も長らく囚われの身になるような歴史を歩んできたからこそ自由を尊ぶのでしょう。しかし、自由以上に至高のものは楽しいという楽観主義ではないかと僕はこの頃、そのように考えるようになりました。

自由の重要さ以上に自由の際限のなさによる不自由、つまり自由であるけど何もすることがなくて不自由であるといった感覚は持ちたくありません。そうであれば、個室に閉じ込められていても、好き放題したいことができるような楽観こそ自由が束縛されている状況にあっても自由に勝る考え方なのではないかと感じるのです。

もちろん、自由であり、楽しく過ごせることが最も重要であることは言うまでもありません。外で伸び伸びとしたいことができる。そのことに勝る考え方は今の僕には思いつきません。世の中。楽しいことで溢れています。楽しいことが至上であるとは言ってしまえば、その通りですが、普段のさり気ない散歩を味わって自由を実感することも重要であると言えます。

そのような意味では、楽しいということと、自由であることは、ともに重要な状態であると言えます。ファンタジーの世界では、主人公は最初どこにも属さない異邦人なので、自由を謳歌できますが、それ以上にファンタジーの世界で楽しい日々を過ごします。

最初は、修羅場をくぐって、最強の敵と戦う場面もありますが、その敵を味方にすることで、とんでもない力を手に入れて、ファンタジーの世界に君臨します。僕は、現実の世界でもファンタジーの世界は再現できると思います。ファンタジーの世界以上にファンタジーな現実世界を生きる。それこそ僕の望みの一つなのかもしれませんね。

最高の人生とはどのような人生か。もちろん、ファンタジーの世界に君臨していても避けられない修羅場は何回かくぐるのです。僕は戦いのない世界に憧れを抱いていましたが、戦いこそ人生なのかもしれません。戦いがあるからこそ、強くなるし、上手くもなる。

しかし、視点を変えれば、楽しいことを続けても、いくらでも能力は伸びていき、しなくていい戦いを避けられる可能性もあります。僕は戦いのない楽しいだけで成長していける桃源郷を求めていますが、あなたは、この意見について、どのように思いますか。一度、会って話ができればいいですね。

以上です。ご成長ありがとうございました。渡辺天でした。

2026年1月21日水曜日

第20冊。僕が時計の分針を気にするのは、僕の集中力が15分30分しか持たないからです。 The reason I worry about the minute hand on the clock is because my attention span is only 15 minutes and 30 minutes.

こんにちは。渡辺天です。お願いします。

時間というものについて語っていきたいと思います。時間。時間は時計という機械によって確認することができます。うーん。時計の仕組みはどうなっているのだろうか。時計は時計回りというように右向きに時を進めていきますが、指針という考え方に価値があると僕は思うのです。

指針とは、時針、分針、秒針というように、時計の針のことですが、僕が思うに、秒針が一番早くて軽い指針です。一番なんですよ。スピードならば。なぜなら、一秒は時間の最小単位であり、心臓の脈拍と同様に、一秒に一回心臓が時を刻むからです。心臓ってすごいですよね。生まれてから死ぬまで動き続けるんですよ。

心臓を秒針と見立てるならば、心臓とともに一秒が価値を持つことになります。一秒。一秒。時を刻む。その六十分の一のスピードで時を刻むのが分針です。僕はさらに六十分の一のスピードで、一時間毎に時を刻む時針もあることを知らせたいのですが、どの指針が一番重要かといえば、僕は分針を推したいです。なぜなら、分針は神の指針だからです。

基本的に、秒針はスルーしても構いません。カップラーメンの時間を三分測るために、秒針をじーっと眺めていてもいいのですが、一秒ごとの時間には基本的にあまり価値がないと僕は感じるのです。そうなんですよね。

それは、僕の生活習慣が関係しているはずだし、僕は一秒という時間の単位にあまり魅力を感じません。それよりは、一分一時間のほうが重要であるし、一時間より一分ごとの時間単位に価値を見出しています。一分最強説ですね。

時計を逆周りにしてもいいんですよ。しかし、決して簡単には未来に行ったり過去に行ったりすることはできませんよ。時計の針は自分の指を使って逆回しに、あるいは、逆回しに設定する機械の部分を使って、時間を設定する「だけ」であれば、時計の時間を自由に操ることができます。16時にも17時にも設定できますよ。設定だけならば。

僕が分針を気にするのは、なぜかというと、15分30分単位の時間の利用をしているからです。長い時間をかけて取り組むことより、僕の集中力が15分30分しか持たないからです。集中力がよくないんだな。

僕は、ある人に言います。なぜ、時が巻き戻らないのか、と。ある人は言います。それは、あなたが神ではないからだ、と。あなたの分針が壊れているからだ、と。僕は、時を巻き戻すことは神様でも難しいのではないかと思います。なぜなら、一人が時を巻き戻せば、大量に犠牲者が出るのが容易に想像できるからです。

人が時を巻き戻したいというときは大量に犠牲者が出るシチュエーションだからです。いろいろな角度から色々な犠牲者が出ることは容易に想像がつきます。一秒単位の時を止めたり、時を動かしたりするのもスゴイのですが、時は容易に巻き戻してはいけない性質のものではないかと、とある博士は言います。

僕もそれは同意で仮に時を進めたり戻したりする能力があっても滅多には使用しないでしょう。話はそれだけなんですが、最後に一つ。「THE WORLD」以上です。ご成長ありがとうございました。渡辺天でした。

2026年1月7日水曜日

第19冊。普通とは、お菓子で言えば、ロングセラーの定番商品です。空気のように繊細に存在する人たちのこと。In terms of sweets, "normal" refers to a long-selling staple product

こんにちは。渡辺天です。お願いします。

今回のテーマは普通の人についてです。普通。普通といえば、Midiumサイズを思い浮かべますが、平均とはまた異なります。ちょうど真ん中という意味の、中央値でもないですね。

平均とは、多くの数値を足し合わせて、その足し合わせた数で割ることですが、普通とは至って平凡なことを言います。平凡と言っても普通なので、特に減点されることもなく、加点されることもなく、欠点がない状態と言えます。

僕は、多くのことを知ってきましたが、欠点がない状態の人とは珍しいケースで遭遇します。普通、少数の組織に一人はいるリーダー格の人が普通に見えます。いわゆる好感度の高い人。誰からも嫌われていない人。

ここで話を脱線させます。レッツ・レスキュー!!。さて、僕はブレーンストーミングが好きです。アイデアを思考して導き出す、その瞬間が好きです。様々なアイデアに囲まれてブログを一記事書いてみるのもイイと思います。

もちろん、普通の人だってブレーンストーミングくらいはします。僕は、ブレーンストーミングで出てくるアイデアは普通以下だと思います。案外、デタラメに頭に思いついた知識を書き写していったほうが優秀なアイデアが出ます。

ブレーンストーミングであるといろいろと合理的に思考してしまいます。その思考の過程でアイデアがステレオタイプのようなものになってしまいます。ステレオタイプのアイデアは新規性に欠け、使い古されたアイデアを提供します。

乱雑であっても、デタラメに出したアイデアのほうが、ブレーンストーミングのように、あらかじめアイデアを出すと意気込んでいたときよりも柔軟にアイデアを出すことができるでしょう。

僕のブログ一つをとってもブレーンストーミングをしたあとに、このように記事を書き出すと、このような記事を書き上げることができます。ブレーンストーミングで書いたアイデアはステレオタイプなアイデアとなってしまいましたが、そのアイデアは公開しませんが、その上で乱雑にブログを書いています。

そして、普通についてですが、普通の人って一周回っていないですか。普通であるためには何が普通であるか基準が分からなければなりません。普通が普通であるためには、異常を知り異常を経験しておく必要があります。

何回か修羅場をくぐれば、それなりにベテランにはなりますが、ベテランはベテランを超えられません。ベテランになるとステレオタイプになって柔軟性が欠けるからです。若い頭に戻って、もう一周人生を送り返すことができれば、意見もまた異なってくることでしょう。

ベテランもブレーンストーミングだけでなく、思いつく限り型のないアイデアを出してみるのが良いのかもしれません。感性で出したアイデアは、理性でつなぐと多くの発見を得ることができます。潜在意識の中にあるアイデアがふとした拍子に出てくるからです。

今回のテーマは、普通であり、ステレオタイプであると言えます。普通とは、お菓子で言えば、ロングセラーの定番商品です。空気のように繊細に存在する人たちのことを普通と言えます。僕は、普通の人たちが、あるいは組織の普通に見える人たちが、マネージャーやリーダーであるのも、多くの修羅場と経験値を積み、ここまで来ているからだと確信しています。

普通とは、減点されず、加点もされず、至って普通のことです。人間関係の減点がケンカやトラブル、あるいは加点がプレゼントをしたり協力したりすることだと信じています。減点はなくしていき、加点を加えていく。

鹿せんべいをお土産に持って行くくらいの気概が人間関係を加点方式へと導く鍵かもしれません。ちなみに、鹿せんべいはヒトの食べ物ではないですよ。以上です。ご成長ありがとうございました。\\\渡辺天でした。ラフラフlol

2026年1月1日木曜日

第18冊。我々生きる者にも言えることで、鍛錬の日々こそ栄光の日々であると言えます。The same can be said for us living beings: the days of training are the days of glory.

こんにちは。渡辺天です。お願いします。

今回のテーマは、王族についてです。王族というと出世レースの最後のチャンピオンとも言えますが、初代イスラエル王のダビデのように奴隷の身分から出世してきて王者になった強者もいます。

僕は、王様という職業に憧れを持っていた時期もありました。多くの少年漫画が王様をテーマに書かれているように、王様が一番位の高い職業であることが分かります。王様とはダモクレスの剣のように一本の糸によって生を繋いでいることが重要です。

フランス革命のマリー・アントワネットのように、ほんの少しの発言で民衆は暴徒と化します。感情的になり、王を倒そうとするかもしれません。しかし、長期的に見たら、確かに民衆の判断は正しかったと言えるのではないでしょうか。

フランス革命も後世から見れば、本当に正しかったのか。学者の皆さんがどういう見解を出しているか、僕にはわかりません。僕の専門分野ではないからです。その学者の皆さんの見解ですら一時代のモノであり、次世代では評価が覆っている可能性もあります。

僕は、王になるには、幾多の試練を乗り越える必要があると思います。ものすごい戦いの中を勝ち抜いた猛者だけがなれるように思えます。しかし、よく考えてみれば、強いだけの武将が王になれるのではなく、人徳と尊敬を集める者が王であるとも言えます。

決して、王は暴力的な権力の権化ではなく、一般市民の声に耳を傾ける謙虚な存在である必要があると考えます。260年を築いた江戸の徳川家康は”実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな”という格言を現在まで残しています。

王であるからには、それなりの存在証明が必要であり、いざというとき王位の証を証明できなければなりません。いつでも王としての資格を証明できることに王としての資格があるといえるのです。

僕はここで考えます。王としての証明とは何か。普段から特殊な訓練を受けている王族は、敵に囲まれても王であると認められて助かるためのご印籠が必要であると言えます。あの水戸黄門のご印籠がそうであったように、その所有物を所有しているということで王として資格を証明できたらいいのです。

僕は王であるための最大の資格は民衆の支持であると考えます。あの大統領や首相ですら、最初のご祝儀相場で高い支持率を得ていても、30%40%の支持率へと支持が低減していきます。僕は、支持率は70%80%あれば良いと思います。

ほとんど100%の支持率は現実的ではないですが、70%80%の支持率があれば、適度に緊張感があっていいからです。日本の政治であれば、最初は70%80%の高支持率ですが、一年もせずに30%台ほどの支持率となり、失脚していきます。

しかし、長期政権を築くには、それなりの業績が必要であると言えます。その代表者の人柄や性格なども関係ありますが、長い間トップでいるためには戦い続ける必要があります。平穏な音沙汰のない環境で支持率がいつも100%近いというのは有り得ないからです。

そのため、いつでも不測のトラブルに対応できるように日々修練を積み、対処できる必要があります。ぬるま湯に入っていれば、いずれ倒されてしまいます。王族とはいつも鍛錬を積み、いつでも戦える状態しておくからこそ存在価値があると言えます。

王族。あなたは王族を目指したいですか。あのダモグレスの剣のように一本の糸で吊るされた剣があなたの頭上にあるのです。しかし、日々盤石であるには、日々の鍛錬が必要であると言えます。その限りにおいて、あなたの王位が維持されるでしょう。

それは、我々生きる者にも言えることで、鍛錬の日々こそ栄光の日々であると言えます。僕は、自称王族ではないですが、やる気を出すために今日、自己啓発本を買いました。今後とも精進して生きるために、あわよくば王族になれるように、皆で鍛錬を積みましょう。

以上です。ご成長ありがとうございました。渡辺天でした。ラフラフlol

2025年12月29日月曜日

第17冊。執着してくる相手に物を上げる。それだけで執着の関係は解消されるはずです。Just giving something to the person who is obsessing you should be able to end the obsession.

こんにちは。どういたしまして。渡辺天です。よろしくお願いします。

今回のテーマは自己啓発についてです。僕は自己啓発は強力なカンフル剤であり、多くの教訓を教えてくれる強力な特効薬であることを知っています。

教訓といってもピンからキリまであり、僕の最大の関心ごとは歴史からいかに教訓を抽出するかという、その一点です。歴史上の人物の人生は後世まで語り継がれられて多くの人々の記憶に残り、感動を与えます。この自己啓発でさえ、僕らに多くの教訓をもたらしました。

いろいろな自己啓発の教科書を読んでくれた読者さんも多いことでしょう。自己啓発はビジネス本も含めてのことですが、社会的に成功する方法論ということで書かれています。お金儲かりまっか。

社会的に成功するにはどのように行動すればよいか。大変興味深いことであり、多くのヒトにとっても関心の的でしょう。

僕は現在ブログを書いていますが、このブログ自体も自己啓発の性質が強く、人生の攻略ブログであると言えます。人生の特効薬になってほしいと日々祈っています。僕は人間関係というのは面白いものであると思います。

モノを一つあげるだけで相手の心象が大きく変わります。面白いものですね。しかし、人間関係とは難しいもので、ヒトが複数人集まれば、おのずと政治ができます。権力争いですね。

僕は自己啓発とは、このような人間関係や社会の組織関係をより良いものにするための処方箋であると考えています。多くの歴史上の人物がそうであったようにダモクレスの剣といえる一瞬を生きていることが分かります。

ダモクレスの剣とは王位にある者は一本の剣が天井から一本の糸で頭上につるされているという意味です。

僕の中で現在もっとも関心のあることは人間関係の執着です。相手に執着してしまうのは、人間関係が一方的であるからです。片方がもう片方にメリットを見出しても、もう片方がメリットを見出さなければ、関係は執着になります。

相手に執着されて、その執着を取りたいならば、相手に好意を見せる必要があるのではないかと思います。よく話し合い、邪険にしないことが大事になるはずです。相手に好意を見せれば、執着の関係であったものが自ずと対等な関係になるはずです。協力関係になる可能性が高いのです。

相手にメリットを見出す。世の中は損得ではなかなか動きません。win-winの関係は簡単に協力関係を築けますが、片方が多くを持っており、もう片方が何も持っていない場合、協力関係を築くのは難しいのは想像に難くありません。

歴史上の人物たちも、多くの物を所有しており、多くの人たちと関わった上で業績を築いてきたと思います。中には、僕にとっての本当の英雄もおり、人間関係なくしては偉大な業績も上げられなかったでしょう。

僕は自己啓発とは先人の知恵が入った人類に普遍的なテクニックだと思います。僕たちは、あるいは、あなた達は自己啓発という物を聞いたとき、あー、意識高い系のアレね、と思う人もいるでしょう。

しかし、歴史の偉人から学ぶことがあるように社会の先人に学ぶ意識高い系も多いはずです。僕は歴史の教科書を見たとき、あるいは他の強化の教科書を見たとき、いかに教訓として知識を抽出できるかを考えています。

世間には多くの参考書や教科書がありますが、いかに歴史から学ぶか。重要ですね。執着してくる相手に物を上げる。それだけで執着の関係は解消されるはずです。自己啓発。なかなか奥が深い話ですが、少し中を覗いてみるだけで人生は様変わりする可能性があります。

歴史に学ぶ。教科書に学ぶ。本を読むからには何か重要なものを得たいですね。以上です。ご成長ありがとうございました。渡辺天でした。

2025年12月25日木曜日

第16冊。定石とは予定調和であり、どのように定石を打たれるかという確証があるから打ち合い続けられる約束事です。A standard move is a predetermined harmony, and it is an agreement that allows you to continue playing because you are certain of how the move will be played

こんにちは。渡辺天です。

今回のテーマは、諸行無常の定石崩しです。常に移ろいゆく存在である僕たちは、諸行無常を体現します。諸行無常とは、同じ状態が続かないということですが、何事にも新しい状態に移る可能性があります。

僕は、変化できるモノが最も生き残りやすいという話を知っています。変化できる者は新しい状態に適応でき、すぐに、その場になじむことが出来ます。僕は、一番強い者はすぐに廃れていくことを知っています。

あの江戸ですら、260年で幕を閉じました。260年とは長いようで呆気(あっけ)ないのです。僕の知る限り、260年とは、3人分の人生の長さでしかないからです。諸行無常とは、変化を求めることですが、一度何かで成功すれば、その成功した方法にこだわってしまいます。

僕もそういうヒトを何度も見てきましたが、二匹目のドジョウを狙うということです。同じ状態で勝つためには周りの状態が同じでなければなりません。同じ環境です。一度上手くいった環境は二度目には大きく姿を変えている可能性があります。同じ勝ちを狙うことに意味があるのか。

もちろん、勝ち方とは色々な方法があり、様々な状況で使えます。いわゆる定石という事ですが、定石も周りの環境を変えれば、簡単に崩せることが分かります。強力な定石はいつの時代も通用しますが、一度勝った方法にこだわれば、すぐに人間はダメになってしまいます。

時間が経てば経つほどに、その定石の弱点というモノは開発されて、定石が崩されてしまいます。自分のペースに入れるというのは強力な定石でもありますが、自分のペースに相手を入れるということ自体、強力な定石の一つと言えます。

2匹目のドジョウや3匹目のドジョウは簡単に狙えます。再現性で言えば、定石が出来てから日が浅ければ、簡単に定石は再現できます。環境が似ているからです。囲碁や将棋の定石ですら、出来てから何十年も経つモノもあるでしょうが、一概に定石を打てば必ず勝てるとは言えません。

ただし、毎回定石を生み出せたら、それはそれでスゴイことですが、定石を形作ることで新しい勝ち方が見えてきます。本来、定石は、あるいは勝ち方は、その定石同士、あるいは勝ち方同士で組み合わせていく物だと分かります。

このような定石も移ろいゆく物で、そのうち廃れて使われなくなり、新たな勝ち方が生み出されていきます。定石とは奥義のような物であると同時に自由を束縛する何かです。新たな流儀の勝ち方は文化どころか文明を打ち立てます。定石崩しとは自由になるための道具です。

新しい物を開発するとは、新しい弱点を生み出すことでもあります。弱点を見つけることこそ定石崩しですが、決まりきったルールの中で定石を打ち続けることは安定感はありますが、定石を乱されれば、すぐに定石によって打たれた手たちは崩壊します。

定石とは予定調和であり、どのように定石を打たれるかという確証があるから打ち合い続けられる約束事です。この約束事を破るのは案外簡単です。ステレオタイプという意味で定石があるのです。定石崩しとは、このステレオタイプを崩すための一手なのです。定石崩しも諸行無常です。

以上です。ご成長ありがとうございます。渡辺天でした。


2025年12月18日木曜日

第15冊。ドライフルーツを粉末にしたフルーツシュガー、つまりフルーツ砂糖を生成したら儲かるのではないか。Would it be profitable to produce fruit sugar by powdering dried fruit?

 こんにちは。渡辺天です。どういたしまして。

今回のテーマは自販機とフルーツシュガーです。自販機と僕の壮絶な戦いをご紹介します。自販機。うーん。自販機。大量に買ってしまいますね。100円の炭酸飲料は多いですが、10本は買ってしまいます。たったの一日で。決して僕は太ってはいないんですよ。

この頃、体重が少し気になりますが。ただし、この生活を続けると太ってしまわないかと心配です。いいんですよ。若いうちは、若いうちはね。買うためのお金はあるんですが、自販機は誘惑が多いです。本当にね。

いろいろな種類のジュースが売っているし、コーヒーなんかもあって充実したラインナップなのが分かります。でも、自販機があると、どうしても自販機に手が伸びてしまうんですよね。何かを飲みたくなるんですよ。

僕もこの頃実感しましたが、スーパーマーケットに行くと半分ほどの値段でジュースを手に入れることもできます。自販機は便利な分、ホイホイとジュースを買ってしまうのですが、スーパーマーケットでは一日に何回も通うのは不便なので、まとめて一回で買うことができます。背徳感ですね。

僕もジュースと言えば、フルーツジュースが好きなのですが、やはりジュースの糖分量に配慮してしまいます。なるべく水も飲むように心がけています。フルーツと言えば、フルーツシュガーは優秀だと思います。ショッピングの店舗に行けば、スーパーマーケットの店舗とかですよ、店舗に行けば、ドライフルーツが置いてあります。

僕は、糖分を控えたいのですが、そのドライフルーツを粉末にしたフルーツシュガー、つまりフルーツ砂糖を生成したら儲かるのではないかと考えています。フルクトースと言うそうですが、フルーツ由来の果物やハチミツに含まれる天然由来のシュガーです。乾燥して粉末にするんですよ。

でも、僕は思うんです。フルーツシュガーはインスリンに依存しないので、糖尿病の患者さんでも食べられるはずなんです。僕は、フルーツシュガーがもっと広まればいいと思います。フルーツもアフリカやASEANなどの温かい南国で安く育てて生産するのが良いという意見です。僕の一意見ですが。

多くの国でフルーツは生産されていますが、自動販売機のジュースもフルーツシュガーを利用すればよいのではないかと思います。ちなみに、普通の白砂糖はグルコース(白砂糖)であって、インスリンが関わってきます。糖尿病の患者さんにとっては天敵ですね。宿敵グルコース。

自販機の話ですが、自販機はグルコースのかたまりです。かたまり、なんですね。買えば買うほど糖分を摂取してしまいます。僕は自販機のジュースもフルクトースとグルコースの両方で作る必要があると思います。

僕の住んでいる、この日本ではフルーツは非常に高価です。もちろん、品質もよいのですが、フルーツを買うとなれば千円二千円は普通に飛んでいきます。しかし、物価の安い南国で生産すれば、安くなることがわかります。

僕もマンゴーについてネットショップで見ますが、ブランド品は四千円ほどするのが分かります。高級ですね。南国のマンゴーなら200円300円で買えます。その南国マンゴーを材料として使用しても十分フルーツシュガーは安く生産できると思うんですよね。

フルーツシュガーも南国で大量生産したものを安価に輸入すれば、お安く買えるのが分かります。自販機のジュースにもぜひ導入してほしいですね。でも、自販機との戦いはまだまだ続くと思うので温かく見守ってください。よろしくお願いしまーす。

以上です。ご成長ありがとうございます。渡辺天でした。

2025年12月12日金曜日

第14冊。他選のリーダーのように誰か他のヒトのために利益を考えずに10年間働いて欲しいのです。I want ours to work for 10 years without thinking about profit for someone else, like the other elected leaders

 こんにちは。渡辺天です。

長い人生を生きるとします。今回のテーマは渡辺天の十八番のチートについての話ですが。例えば、あなたが何年かの期間で、ここでは3年としましょうか。達成したことは土台であると思います。土台だからこそ大事な3年間であったはずです。もう一度言いますが、例えばの話ですよ。

それで、その3年間で成し遂げたことを、今度は10年間かけて応用するとします。最初の3年間は全力で取り組んで3年間の期間を生きたはずです。その土台の上に、10年の応用を築くのです。

僕の場合、この頃の3年間は色々なことが有り過ぎて一つのテーマにまとめられないのですが、一重にリーダーシップというものがあります。色々な組織があって色々な団体があります。

僕もこの頃まで、いくつかの組織に属していましたが、それぞれにリーダーと言えるヒトがいました。組織とは、面白い物でコロコロとリーダーが入れ替わります。組織であれば尚更ですが、組織のリーダーにも色々な人がいます。

僕もそれぞれの組織でリーダーを近くで見てきたのですが、皆それなりに慕われているヒトがリーダーに落ち着くのが分かります。僕みたいなのは、仲が良い人に色々とプレゼントを送って上手くノラリクラリと受け流すタイプですが、リーダーは他選でなるヒトが多いです。

この頃は特に、その傾向が強いのかもしれませんが、リーダーは自分からなる物ではないと思います。野心は重要です。その野心によって、あなたはより強くなれるし、より上達できるのです。野心は必要であるし、自分から立候補することも大事です。

しかし、多くの自分から立候補する人たちは自分のために自分の出世のために立候補します。つまり、自分のために仕事をするのです。しかし、他選であれば、他の人たちが持ち上げたヒトが、本人の同意の下にリーダーになります。そのため、自分のためという野心がありません。

野心がなければ、やる気がないかといえば、ボランティア精神で取り組んでくれるヒトもいます。僕は、政治家であれ、組織の重役であれ、立候補するような職位の人はボランティアの一つでもしたことがあるヒトが良いことを知っています。

彼ら彼女らは最初から、そのように利他心に溢れていたのか分かりませんが、寄付やボランティアをする頃には他者、もちろん他人という意味ではありませんよ、相手のために利他の精神で取り組んでくれます。

自分からリーダーとは言わず、周りがリーダーとして推薦してもらったような人たちを他選で持ち上げたほうが自分の保身ではなく、社会のために働いてくれるのは必然です。

ここで、最初の3年間の話しに戻りますが、あなたが3年間でリーダーになったとします。僕はその3年間は恵み深いものだと思います。それ以上に、そこから10年間をリーダーとして職務を全うして欲しいと願うのです。

あなたは自選か他選か、どちらによってリーダーになったか分かりません。ただし、自選のリーダーとしてではなく、他選のリーダーとして人々のために働いて欲しいのです。それがあなたの使命だと僕は思います。

決して自選の自分で立候補したリーダーが良くないと言っているのではなく、他選のリーダーのように誰か他のヒトのために利益を考えずに10年間働いて欲しいと思います。決して、その10年間は無駄にならないはずですよ。

自選で立候補して、あるいは他選であっても3年間リーダーを務めることができたら、今度は95%を他のヒトのために、もちろん5%はあなたの取り分でイイのですが、95%を自分を押し上げてくれた人たちのために働いて欲しいのです。ラフラフlol

以上です。ご成長ありがとうございました。渡辺天でした。

第13冊。食事の最後の一口を残して手を合わせて一口様でしたと満腹であることを認識すれば食欲が失せる。 At the end of your meal, if you leave one bite, clasp your hands, and realize that you're full, your appetite will disappear

 こんにちは。渡辺天です。

今回は満腹感としての一口様についてテーマにしていきたいと思います。一口残す。とても重要なことですね。一口残すことで満腹感を得られて、それ以上食べたくなくなります。すごいですね。

満腹まで食べてしまうと、しばらくして直ぐに空腹感を得られるようになります。僕にとって空腹感を感じることは少ないです。現在生きている世界や環境で何不自由なく過ごせていることに感謝したいくらいです。本当ですよ。しかし、たまに暴食したくなる時があります。鯛に食らいつきたくなるときがあるんですよ。ラフラフlol

外出して外食をするときなど普段とは異なるシチュエーションで暴飲暴食してしまうのです。食欲って恐いですよね。僕の場合は、何とか普段の食欲に戻せますが、人によっては食欲と同時に生活水準が上がってしまう可能性もあります。結構ハードな状況ですね。

そんなとき、食事の最後の一口を残して手を合わせて一口様でしたと満腹であることを認識すれば、食欲が失せると同時に飢餓感が無くなるのです。言い方は何でもいいです。一口様でしたと僕は言いますが、満腹感になりましたと、言ってもいいし、その一言で空腹感は失せて満腹になります。しばらくしても空腹になることは無いのだと思います。一度試してみて下さい。

本当に食欲がなくなるんですよ。僕は現在、マル秘の研究をいくつか持っていますが、一口様についても調べて何故そうなるのかという人間の思考過程について考えてみたいのです。一口様でしたとは、つまりご馳走様でしたという意味ですが、ごちそう様のように全てを食べてから礼をするのではなく、一口残して満腹になりましたという点がポイントです。

その残した一口も一口様でしたと言った後に食べれば、次の食事まで空腹感もなく過ごすことができるでしょう。大満足ですね。ご馳走様は偉大です。多くの命を土台にして、あなたの命が成り立っています。そのことについて感謝感謝です。

ご馳走様は僕が思うところによると命を頂きましたという意味でしょうが、一口様はもう食べれないほど満腹になりましたという意味です。面白いですね。多くの人は思うでしょう。たった、その一言で満腹になれるのか、と。楽勝だな、と。もし、食欲が大きくあって飢餓感を抑えたいときは、ぜひ一口様でしたと唱えてみて下さい。きっと魔法のように、食欲が失せていくのが分かるでしょう。

以上です。ご成長ありがとうございました。渡辺天でした。




2025年12月5日金曜日

第12冊。ブログに投げ銭用としてpaypayのQRコードを載せてみるのが良いのでは。It might be a good idea to post a PayPay QR code on your blog for tips.

 こんにちは。渡辺天です。

今回は僕のオリジナルのブログ作成術である口述筆記と、そのブログの収益源であるpaypayについての話です。


僕は、口述筆記という馴染みの薄い方もいるような筆記方法でブログを書いています。小さな声を出しながら文章を紡いでいく方法ですが、上手くいく時と、なかなか上手くいかない時があります。大変ですね。一発勝負のような文章の書き方なので、一筆書きで声に出しながらキーボードを打っていきます。ここが勝負どころ。


口述筆記といっても、話し言葉のような文章を書けるところがメリットであり、実感としては僕もお堅い言葉でブログを書くよりも、感覚的にわかりやすく、親近感が湧くのではないかと考えます。接触効果ですね。

口述筆記のすごいところは、スラスラと文章を書けるところで、まだブランクが9か月ほどある僕でも1500文字くらいの文章はあっさり書けるような気になります。僕も口述筆記で一筆書きをするのですが、一筆書きの良くないところは脱線したら話題のテーマが変わってしまうところです。


しかし、今回も少し脱線してみて、paypayの入金方法について脱線したいと思います。僕もブログを書いている身としては、ブログから収益を得て暮らしていきたいのですが、その一環として銀行預金への振り込みを考えたことがあります。


銀行口座の番号をブログに書き込むのは相当に勇気のいることで、騙されて詐欺にあわないかと不安になることもあるでしょう。その点では、僕は銀行の預金口座番号ではなく、paypayのQRコードを載せてみるのが良いのではないかと考えています。ふんふん。鼻息が荒くなります。


一筆書きの口述筆記の話からだいぶ脱線しましたが、僕は一筆書きを感性を使用したアートであると位置づけています。まあ、脱線したpaypay払いと口述筆記を関連させられたら、それなりに美味しい記事にできるのではないかと現在考えているのですが。


この一筆書きブログも現金化したいという野心も少なからず有るということを少しは読者さんたちに知ってほしいのです。また今度、paypayの寄付や投げ銭方法も調べて、当ブログに載せるということを検討したいのですが。paypay。ワクワクしますね。


僕のブログはノウハウを多用した雑多なブログでいいと思います。脱線もするし、レールの上に車輪が戻ることもあるでしょう。それについては文字通りだと少しオカルトですが。脱線したレールに車輪が戻るんですよ。


僕もこの辺で言いたいことは言い尽きたのですが、paypay払いで寄付や投げ銭をしてもらうのは画期的だと思います。しかし、僕もあまり金銭欲はないので、ほどほど現実的な常識的な話をすると5000万円位稼げたらいいです。本当にリアルな数字ですね。


僕も宵越しの金は持たないタイプなので、paypayのポイントを5000万円ほど稼げたら嬉しいのかもしれません。当ブログも12記事目なのですが、1週間に2,3本の記事を投下できたらいいです。


僕もすることが色々あってブログの更新も途絶えることがあるかもしれませんが、気長に釣りをするように待ってもらえば、温かく見守ってもらえば、ありがたいです。釣りをすると幸せになれます。


口述筆記も一筆書きの小さな声を出した口語記事なのですが、理性で修正を加えるというのが肝心ですね。理性で修正を加えなければ、ざっくばらんに色々な方向に飛び散らかった記事になってしまうので。以上です。ご成長ありがとうございます。渡辺天でした。


第11冊。ブログは1年で9割が辞めていくというデータも有りました。長期戦ですね。There is data that shows that 90% of people who start blogs quit within a year. It's a long-term trade.

 こんにちは。渡辺天です。

今回のテーマは釣りについてです。魚釣りといえば、ブログも魚釣りのようなものです。ブログも長い年月を掛けて少しずつ積み増していくことで5年10年してから成果が出てきます。5年10年と糸を垂らすんですね。


5年10年とは長いものです。本当にね。1週間に1記事でも書けば、1年で50記事が貯まることになります。僕は釣りというものが苦手で早急に結果を出そうと始めから全力で取り組みます。そこがダメなんです。


しかし、次第にガス欠して体力がなくなり潰れていきます。潰れるんですよね。攻めというものは、とても体力のいる作業です。攻めるには、策略をめぐらして、いろいろな計画を立てて、事に当たると思います。策略ですよ。しかし、釣りが得意であれば、防御をオススメします。防御防御。


僕も学生の頃は攻めるタイプでゲームでも攻撃力の強いキャラクターを多用していました。攻めれば勝てると頑なに信じていたのですが、今振り返っても、それなりに強い人は防御が上手かったと思います。


頑として、防御することで相手の自滅を狙い、少しずつ勝ちを積み増している印象がありました。実際、防御は長期戦を必要として、長期的に勝つためには防御、ここで言う釣りが大事であったと僕は思います。


防御は体力を必要とせず、消耗戦でも相手が攻撃型なら自滅するまで待てばいいことが分かります。しかし、守りだけのプレイヤーということが分かれば、相手は手を緩めて延々と攻撃してくる可能性があります。


僕はここで問題提起をしたいと思うのですが、カウンターは正当防衛かということです。カウンターとはつまり、おうむ返しであり、相手の技をそのまま跳ね返すことです。相手は攻撃した分だけ痛い目に遭うかもしれませんね。


カウンターと言ってもボクシングのように相手のパンチに合わせて自分もパンチするという意味ではなく、嫌味を言われたら、そのままブーメランとして跳ね返すということです。傷つけあうのはよくないですね。


僕はカウンターが正当防衛かということについて、これ以上言及しませんが、多くの人はカウンターを相手の攻撃に対する抑止力であると考えるはずです。ただ漠然と攻撃してくる相手に、防御をしたり、カウンターをしたりするのは有効なことです。


ここで、もう一度強調したいのが釣りです。ブログに関して攻めるといえば、1記事2000文字ほどの文章を毎日100日上げるようなことです。この100日100記事は最初のブログを始めた初心者にとっては大変有意義なことであると思います。攻めの姿勢で、100記事書けば自ずとブログの量と質は向上します。


しかし、攻めばかりで次に1000日1000記事を狙えば、潰れてしまう可能性が大きいです。実際、それなりに攻めて、ある程度、攻略法がわかれば、今度は守りも固めていくべきでしょう。どうすれば、更に良い記事が書けるか考えてみるのがいいのです。


100日100記事、つまり3ヶ月で100記事かけるようになれば、今度は長期戦です。どれだけ長くブログというゲームを続けられるかです。僕は2017年からブログを始めて早9年、実働は3年ほどです。長く続けるということは大変な作業です。


実質3年ほどブログを続けた僕は、今度は釣りをするように、実質さらに10年の歳月をブログに費やしたいと思います。今でこそ、ブログは途中で途切れてしまい、ここ8ヶ月ほどはブログを書けませんでしたが、ここから第2戦目を始めたいと思います。


1000日1000記事、つまり3年で1000記事書くのは、さすがにノルマは高いので遠慮したいのですが、今までインプットばかりしてきた分、今度はアウトプットに回ってみたいと思います。


品質も常に完全を目指して完全主義でブログを書いてきましたが、ブログ記事の質が落ちても今度はできる限りアウトプットで対応していきたいと思います。一週間ごとの更新になるかと思いますが、このブログというゲームを実質14年目には攻略したと言えるほどにはなっていたいと思います。


中国のことわざで釣りをすれば一生幸せになれるという話がありますが、僕は自信を持ってブログという釣りを攻略していきたいと思います。ブログにせよ釣りにせよyoutubeにせよ。長期戦が肝心です。


つい、この前までは、ブログは1年で9割が辞めていくというデータも有りました。どれだけ続けられるかが、あるいは、どれだけ上手くなれるかが、ブログでもなんでもいいのですが、続けるためのヒントだと思います。


ブログをして一生幸せになれるとしたら嬉しいですね。守りの長期戦ですね。以上です。ご成長ありがとうございました。渡辺天でした。ラフラフlol


2025年11月27日木曜日

第10冊。人生の生きる意味は9つほど欲しいですが、その9つの生きる意味でこそ移ろいゆくように変化するのです。I would like to have about nine meanings in life, and it is these nine meanings in life that change and fluctuate.

 こんにちは。渡辺天です。

今回のテーマは生きるということについてです。僕は生きるということは、つまり食べたり歩いたりする事だと思います。僕にとって、食べることと歩くことは生きていく上での最大の務めだからです。

なぜ、人間は生きるのか。壮大なテーマですね。僕にも未だにキチンとした答えが出ません。おそらく、生きていくための目的のようなモノがそれぞれの人にはあるのでしょうが、僕もただ漠然と人生を全うしています。食べることと、歩くことは、この人生という大きなテーマにとって非常に重要なテーマです。

食べることは一瞬です。食べたときは大満足の味でも、食べ終わって数時間すれば、ほとんどの味は記憶に残っていないでしょう。どんな味だったかより、次の食事に興味があるはずです。

一方、歩くことは一瞬ではありません。歩くことは筋力を必要とします。歩くことで、食べたエネルギーを力に変えて、ドンドンと進んでいきます。僕にとって、歩くことは、ただ漠然と歩くという仕事を全うすることだけでなく、次にどのルートを進むのか、あるいは周りの景色が壮観だな、というように積み上がっていく性質が強いと思います。

歩くということは、いわばストックです。体重を減量して無駄な脂肪を落とすことができるし、筋力をつけて次の朝を目覚めやすくする健康法でもあります。しかし、だからといって、食べることがダメなのではなく、ケースバイケースです。

食べることが一瞬の営みであったとしても、次の食事までは満腹感を味わえるし、とても満ち足りた気持ちになれるのは分かります。その積み重ねで、人生を形作っていくのは本来の人間としての一生であるはずです。

僕は、生きるとは、複雑な要素が絡まりあった事柄だと思います。多くの人は、生きることで、何かをなし得て、一部の人は死後の世界も信じています。僕もいろいろな経験をさせてもらってきましたが、大変ありがたく思っています。食べるということについては、2週間ほど飲み物だけで絶食する経験もしましたし、ごジャレたレストランで、とても美味しいランチを食べたこともあります。

人間とは、あるいは生き物とは興味深いもので、一瞬の積み重ねの中で生きています。一食の料理は人生で一瞬ですが、この一瞬に人生の意味を見出す人も多いでしょう。つまり、温かく美味しい食事を食べることに生きがいを感じるのです。

僕は人生の意味は色々とあってもいいと思います。今でこそ、僕の少し昔の人生の意味は達成されています。その意味については企業秘密なのですが、生きる意味は、ただ漠然と生きていて多様な人生の意味がある僕には、あるいは一つに人生の意味を決めきれない僕には、生きるということは、とても難解なことに思えるのです。

また、歩くことも、僕は長い距離を歩いてきました。さすがに歩くことが生きがいではありませんが、足の皮が分厚くなるほどに歩いてきました。ちょうどワンちゃんやネコちゃんの肉球のような弾力のある足になりました。足の皮が分厚くなったのです。

あのワンちゃんやネコちゃんの肉球ですら、四足歩行を続けて常に四足で歩くか、伏せるかの選択肢で、鍛えられて遺伝的にぶ厚い足の肉球になったのは、今の僕でなら何となく分かります。歩くことも長い距離をこの5年間で行ってきました。いろいろな景色も眺めてきたし、建物の中でも歩き回っています。

僕が宗教をするなら第3教義までは、生きることと、食べることと、歩くことです。この三者は密接に関連付けられていて、切っても切れぬ関係であるのが分かります。ただ、足の不自由な人は、杖をついたり、車椅子に乗ったりと、歩くことに制約が加わっています。

おそらく、室内で暮らすことが多いのでしょうが、歩くことに制約がある分に、室内での暮らしに多くの意味を持っていることだと推測できます。

よく歯は大切にしなさいといいますが、食べ物を食べるために大切なのですが、歩くことも足を大切にしてこそ長い人生の距離を歩いていけます。僕にとっては、人生の生きる意味は9つほど欲しいと欲をかきますが、その9つの生きる意味でこそ移ろいゆくように変わっていくはずです。僕はこのことを九行として、苦行に変わる人生の意味としています。

僕にとっての人生、つまり生きるとは9つの意味を持つということです。あなたは、生きる意味を何に求めますか。僕は一つ譲れないことがあるとしたら、いつでも温かい風呂に入りたいということを願っています。以上です。ご成長ありがとうございました。渡辺天でした。

2025年11月13日木曜日

第9冊。一文が長いものをスラッシュで区切って読むとスラスラと頭に入ってくる。If you read long sentences separated by slashes, they will come to mind more easily

 こんにちは。今回のテーマは、難解な文章はスラッシュを文章に入れて読むということです。会計の簿記一級の教科書を現在読んでいたのですが、非常に難解なので、英語でよく使用される/テクニックである、文章にスラッシュを入れる/方法を用いてみました。(ラフラフlol)

 そうすれば、頭にその知識が非常に入ってくるようになりました。すごいんですよ。僕は、英語の文章にスラッシュを入れて、小さく区切って読む方法を学生時代に学びましたが、そのことについては英語の文章に適用するものであって、日本語の文章に適用するものではありませんでした。よ!スラッシュリーディング!!

 今回、簿記一級のテキストを学んでいるとき、難しい文章の教科書であったので、一文が長いものをスラッシュで区切って読むとスラスラと頭に入ってくるようになりました。そうなんですね。デカルトはその書物で「困難は分割せよ」と言いましたが、難しい長文の文章も、小さく区切って読んでいくことで大変有意義な時間を過ごすことができるようになりました。

 つまり、コスパの良い時間を過ごせるようになりました。コスパ最高!!僕としては教科書にアイデアなどの書き込みを入れる方法を採用していますが、教科書には書き込みだらけで二度目に読んだときは、前回読んだときに、どのような点に問題意識があったのか、良く分かるようになりました。分析します!チーン!

 アイデアをノートに書き込む方法はビリオネアのような人も実践しているというニュースを見かけたことがあります。教科書に書き込みまくるんですね。そうです。アイデアはいくらでも出てくるはずです。ふとした拍子に頭に浮かぶアイデアを細かく取っていくと、そのアイデアに日付をつければ、あの時、こんなことを考えていたのかと思い出すことが来ます。反省!!

 このブログ一つとっても、テーマにする題材は細かく日々の日常の出来事をノートに記録しています。ログログ。この頃、採用したい勉強方法は、内容が難解な文章にはスラッシュを入れてみたいと思います。特に、僕の使用している、簿記一級の教科書はハンディーな教科書で、片手で持てる小さな教科書ですが、内容が難解なので、スラッシュを入れて読んでいきたいです。

 そのスラッシュを入れて読んだ内容は、あくまで勉強なので、資格を取る必要もないので、ただの勉強の部類です。しかし、読んでいるときに生じた疑問や発見はノートに書き込んで日付もつけて教科書をアイデア帳にしたいと思っています。THE・アイデアの宝庫!

 僕は日記も書いていたのですが、教科書やノートに書いた疑問やアイデアを愚直にこの日記に書き写していました。この頃では、1500文字、以前であれば3000文字の、記事を書いていたのですが、1500文字の記事も慣れないと書くのが大変です。本当に慣性の法則なんですよ。最初の数歩が大事です。

 僕はこれからのブログを1500文字を目安に書いていきたいと思っています。参考にする題材も現在までは、自分の体験談や心に残った知識でしたが、もう少し学問より、特にサイエンスライターのような記事も書いていきたいです。

 サイエンスライターとして最初の学問は医学について書いていきたいと思います。診療行為に当たるようなことは書くつもりはないので、一人のサイエンスライターの一意見として良ければ参考程度にしていただければいいと思います。良ければ参考にして他に創作物を作るときはコメント欄にご一報ください。

 もちろん、著作権の問題もあるので、一から僕が頭にある知識を自分の言葉で表現していくつもりです。乞うご期待。以上です。ご清聴ありがとうございました。渡辺天でした。


2025年11月8日土曜日

第8冊。あなたの歯を大切にして欲しいと銀歯が数本ある僕は切ながらアドバイスしてみたいと思います。 I want you to take good care of your teeth. I have a few silver fillings, so I'd like to offer some advice

  こんにちは。渡辺天です。この頃、中村天風さんの著作を読むことがありましたが、「人間の心で行う思考は人生の一切を創る」という事を知りました。人間の思考とは面白い物で自分が考えたような人生を歩むことも出来ます。

 人生をコントロールする。あるいは、人生を制御するということですが、地球の人間の最高寿命は現時点(2025年)で120歳ほどです。齢120歳を過ぎて生きていくことは素晴らしい革新でありますが、戦後の日本をとってみても数十年前から平均寿命が延び、男女ともに90歳ほどの平均年齢となっています。

 平均年齢であるからには人類の半数以上が70代80代まで生きることも可能なのですが、年の取った肉体で過ごしたいかという疑問が頭の隅にちらつきます。若い20代の見た目や精神年齢で一定あれば、長く生きていきたいと思うかもしれませんが、年老いていく肉体はとても薄弱です。

 僕は、虫歯になって銀歯を入れていますが、この銀歯ですら、治療してから数十年と持つ代物か分かりません。歯を大切にする。芸能人は歯が命と言いますが、年を取ってから歯が良くないと様々な楽しみを失うでしょう。

 仮に、最高年齢が200歳300歳と増えていっても、肉体には上手く機能しない部位や臓器が出てくるはずです。平均寿命が日本であれば90歳ぐらいであっても、ガンや腰痛があれば、満足感の高い生活は出来ないでしょう。僕もまだ若い年齢の部類なので、永久歯がもう一度生えてきたら長いこと生きていても楽しめるんじゃないかと思います。

 銀歯に関連してのことですが、虫歯は牛乳で治せるのではないかと現在考えています。高カルシウム血症などの病気もありますが、現代人はあまりカルシウムをとれていないと思います。牛乳やカルシウム飲料を取れば、虫歯にならずに健康的な生活を送れます。

 人生とは儚いものです。人生の一切は思考でできていると中村先生はその著作物で述べていますが、日頃からの生活習慣があって、人生は形作られています。「あなたはあなたの食べ物からできている」という言葉もありますが、人生の一切も食事、とくに健康的な食事から出来ていると僕は考えています。

 その食事の入口となる、あなたの歯を大切にして欲しいと銀歯が数本もある僕は切ながらアドバイスしてみたいと思います。人生の一切は、思考と食事から出来ています。その入口としての歯を大切にして欲しいと願っています。そのためには、カルシウムが不可欠であると言えます。

 今回の話をまとめると、このような結論ですが、中村先生の著作物もまだ読んでいる途上なので、また報告があれば一報します。以上です。ご清聴ありがとうございました。渡辺天でした。

Book 29. A person who is a manager. What is its purpose? It is the purpose of management to keep asking this question.

 Hello. β (beta). This time, I would like to write about the profession of manager. When you think of a manager, you may think of a middle m...