こんにちは。渡辺天です。
今回のテーマは生きるということについてです。僕は生きるということは、つまり食べたり歩いたりする事だと思います。僕にとって、食べることと歩くことは生きていく上での最大の務めだからです。
なぜ、人間は生きるのか。壮大なテーマですね。僕にも未だにキチンとした答えが出ません。おそらく、生きていくための目的のようなモノがそれぞれの人にはあるのでしょうが、僕もただ漠然と人生を全うしています。食べることと、歩くことは、この人生という大きなテーマにとって非常に重要なテーマです。
食べることは一瞬です。食べたときは大満足の味でも、食べ終わって数時間すれば、ほとんどの味は記憶に残っていないでしょう。どんな味だったかより、次の食事に興味があるはずです。
一方、歩くことは一瞬ではありません。歩くことは筋力を必要とします。歩くことで、食べたエネルギーを力に変えて、ドンドンと進んでいきます。僕にとって、歩くことは、ただ漠然と歩くという仕事を全うすることだけでなく、次にどのルートを進むのか、あるいは周りの景色が壮観だな、というように積み上がっていく性質が強いと思います。
歩くということは、いわばストックです。体重を減量して無駄な脂肪を落とすことができるし、筋力をつけて次の朝を目覚めやすくする健康法でもあります。しかし、だからといって、食べることがダメなのではなく、ケースバイケースです。
食べることが一瞬の営みであったとしても、次の食事までは満腹感を味わえるし、とても満ち足りた気持ちになれるのは分かります。その積み重ねで、人生を形作っていくのは本来の人間としての一生であるはずです。
僕は、生きるとは、複雑な要素が絡まりあった事柄だと思います。多くの人は、生きることで、何かをなし得て、一部の人は死後の世界も信じています。僕もいろいろな経験をさせてもらってきましたが、大変ありがたく思っています。食べるということについては、2週間ほど飲み物だけで絶食する経験もしましたし、ごジャレたレストランで、とても美味しいランチを食べたこともあります。
人間とは、あるいは生き物とは興味深いもので、一瞬の積み重ねの中で生きています。一食の料理は人生で一瞬ですが、この一瞬に人生の意味を見出す人も多いでしょう。つまり、温かく美味しい食事を食べることに生きがいを感じるのです。
僕は人生の意味は色々とあってもいいと思います。今でこそ、僕の少し昔の人生の意味は達成されています。その意味については企業秘密なのですが、生きる意味は、ただ漠然と生きていて多様な人生の意味がある僕には、あるいは一つに人生の意味を決めきれない僕には、生きるということは、とても難解なことに思えるのです。
また、歩くことも、僕は長い距離を歩いてきました。さすがに歩くことが生きがいではありませんが、足の皮が分厚くなるほどに歩いてきました。ちょうどワンちゃんやネコちゃんの肉球のような弾力のある足になりました。足の皮が分厚くなったのです。
あのワンちゃんやネコちゃんの肉球ですら、四足歩行を続けて常に四足で歩くか、伏せるかの選択肢で、鍛えられて遺伝的にぶ厚い足の肉球になったのは、今の僕でなら何となく分かります。歩くことも長い距離をこの5年間で行ってきました。いろいろな景色も眺めてきたし、建物の中でも歩き回っています。
僕が宗教をするなら第3教義までは、生きることと、食べることと、歩くことです。この三者は密接に関連付けられていて、切っても切れぬ関係であるのが分かります。ただ、足の不自由な人は、杖をついたり、車椅子に乗ったりと、歩くことに制約が加わっています。
おそらく、室内で暮らすことが多いのでしょうが、歩くことに制約がある分に、室内での暮らしに多くの意味を持っていることだと推測できます。
よく歯は大切にしなさいといいますが、食べ物を食べるために大切なのですが、歩くことも足を大切にしてこそ長い人生の距離を歩いていけます。僕にとっては、人生の生きる意味は9つほど欲しいと欲をかきますが、その9つの生きる意味でこそ移ろいゆくように変わっていくはずです。僕はこのことを九行として、苦行に変わる人生の意味としています。
僕にとっての人生、つまり生きるとは9つの意味を持つということです。あなたは、生きる意味を何に求めますか。僕は一つ譲れないことがあるとしたら、いつでも温かい風呂に入りたいということを願っています。以上です。ご成長ありがとうございました。渡辺天でした。
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